地元錦町三丁目町会(以下当町会)の学士会館の一角に、
「新嶋(石碑ママ)襄先生生誕之地」碑(以下記念碑)があります。
(千代田区観光協会HPの「新島襄先生誕生之地」を参照ください)
新島襄は、明治六大教育家の一人に数えられている教育者で、
アメリカ合衆国からの帰国後、
同志社英学校(後の同志社大学)を興したことで知られています。

 襄は、生粋の神田ッ子であり、
幼年期から二十歳までの青春期をこの地で過ごしている、
吾が町の大先輩です。
 昭和16年9月27日(土曜日)、記念碑建立の除幕式には、
当町会の役員をはじめ子ども達約200名が参列したとの記録が
「同志社新報」(昭和16年10月20日)に残っています。
また、完成した記念碑を運ぶはずの石材店のトラックが動かず、
搬送が遅れそうだと聞いた子ども達は、
なんと大八車を用意して石材店まで押しかけ、

「町内の大先輩新島先生に負けないヨイコドモに成り度いと誓ひ
(中略)
錦町の一角は暫し感激の渦を巻き起した」
との記録まで残っているのです(同紙原文ママ)。

 新島襄は、1843年2月12日(天保14年1月14日)に
武蔵国江戸神田の安中藩板倉伊予守の江戸藩邸
(現・東京都千代田区神田錦町三丁目28番地)に生まれました。

江戸時代と現代の地図
江戸時代の安中藩江戸藩邸(上)と、現在の同じ場所(下)

 新島襄とは、実は帰国後に改名した名前で、
幼名は「新島七五三太(にいじま しめた)」といいました。
襄の誕生日は旧暦の1月14日ですが、その日は
「しめ飾り」を外す日だった為「七五三太(しめた)」と名付けられたという説、
また、よく知られるところでは、新島家にはすでに四人の娘が居り、
七五三太は四人女の子が続いた後の待望の男児だったため、
祖父の新島弁治が「しめた!」と喜んだころから、
「七五三太(しめた)」と名付けた、という話も伝わっています。

 いま、当町会の一角で、大規模な再開発事業が行われており、
本年3~5月に竣工予定です。ここには、
かつての町内のランドマークの一つだった、
博報堂の旧本館が再建されますが、同時に公園も併設されます。

テラススクウェア001
本年竣工予定の再開発「テラススクウェアビル」

20150109hakuhoudou.jpg

博報堂改築中
博報堂旧本社ビル(上)と復原工事が進む現在(下)

 この界隈としてはわりと広めな緑地ですが、
腕白だった新島七五三太はこの地で鬼ごっこのひとつもしたことでしょう。
当町会は、区や開発業者と公園の運営方法などの協議を進めておりますが、それとともに、当町会の大先輩である新島襄の幼名を冠した「錦三・七五三太公園(きんさん・しめたこうえん)という名称を申請中です。

テラススクウェア002


 また、同志社東京校友会さんが主催され、
学士会館の新島襄生誕之碑前にて、
毎年2月12日(新暦の新島襄生誕の日)に碑前祭が行われていますが、
今年はそれに加え、学士会館 201号室にて午前11時30分~12時45分より、
本井康博先生(新島襄の語り部、元同志社大学 神学部教授)の記念講演会
演題:「江戸っ子・新島襄の夢~神田に錦を飾る~」
が、開催されます。参加費は無料ですので、ご興味のある方は
是非お越しください(お申し込み順、満席次第締め切ります)。詳細はコチラ

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