近所の小学校では、先週末から週明けにかけて、入学式真っ盛りです。
来週あたりから、まるで飴玉のようなピカピカの一年生が、
その小さな身体に不釣り合いな大きさの、まっさらのランドセルを背負って
小学校に通う姿をそこかしこに見ることになるのでしょう。

ところで、小学校にあがったときの、親父からのプレゼントは
国語辞書『新明解国語辞典』(三省堂刊・昭和47年二月二十五日・初版第五刷発行版)でした。
特に勉強しろとは言われませんでしたが、「辞書を読め」とはよく言われました。
辞書を読んで、さらに自分の知っている言葉、新たに覚えた言葉には線を引いて何回でも読め、と。
親父(明治生まれ)が子どもの頃は、辞書を書き写して、
それを売って小遣い稼ぎをしていたそうです。

先日、貧しい書架で捜し物をしていると、その辞書(『新明解国語辞典』)が出てきました。
開いてみると記憶の通り、各頁に黄色いマーカーがびっしりと引かれていました。

W新明解

W新明解頁


この『新明解国語辞典』は、編集者筆頭に金田一京助とされていますが、
主幹は山田忠雄先生です。
ご案内の通り、山田忠雄先生は山田孝雄(やまだ よしお)先生のご長男で、
小社からは『影印本 竹取翁物語』を出されています。
また、山田孝雄・山田忠雄・山田俊雄(三男・後の成城大学学長)の三人共編で、小社より『昭和校注 竹取物語』を出されています。

この辞書は巻頭言「新たなるものを目指して」に
「須(すべか)らく、一冊の辞書には編者独特の持ち味が、なんらかの意味で滲(にじ)み出なければならぬものと思う」
と述べられている通り、きわめて個性的な語釈で知られています。
さらに、
「今後の国語辞書すべて、本書の創(はじ)めた型式・体裁と思索の結果を盲目的に踏襲することを、断じて拒否する。辞書発達のために、あらゆる模倣をお断りする」
と続けられています。

W新明解はじめに0101
W新明解はじめに0202

極めつけは、
「思えば、辞書界の低迷は、編者の前近代的な体質と方法論の無自覚に在るのではないか。先行書数冊を机上にひろげ、適宜に取捨選択して一書を成すは、いわゆるパッチワークの最たるもの、所謂、芋(ルビに「いも」を振っている)辞書の域を出ない。」
のくだり。

W新明解芋辞書


本書72頁「いも[芋]」の項には、用例として芋辞書=大学院の学生などに下請けさせ、先行書の切り貼りででっち上げた、ちゃちな辞書 とあり、

W親亀

同153頁「おやがめ[親亀]」の項に至っては、「国語辞書の安易な編集ぶりを痛烈に批判した某誌の記事から、他社の辞書生産の際、そのまま採られる先行辞書にもたとえられる。ただし、某誌の批評がことごとく当たっているかどうかは別問題」と記されています。
つまり、先行辞書の誤った解釈(親亀)をそのまま丸写しにしたため、
それ以後の「芋辞書」(子亀や孫亀)は皆、間違った語釈を引き継いでしまうという意味なのです。

現行の『新明解国語辞典』には、上記二点の項目は見えません。
電子辞書や、WEB検索全盛の時代、上のような「個性的な解釈」は姿を消しつつあるようです。
賛否はもちろんあろうかと思いますが、人間ひとりひとりの個性が違うように、
語釈にも様々なとらえかたがあっても良いのではないかなと思います。

前出「辞書発達のために、あらゆる模倣をお断りする」をはじめとする山田忠雄先生の、一見過激に見える一連の御主張の真の意味を考えるに、ひょっとすると、やみくもに一様な解釈にとらわれずに、なにごともまずは疑ってかかれと教えてくれているのかもしれないと思いました。
先学に対する批判の精神を忘れるな・・・と。

もしそうだとしたら、果たしてこの辞書を与えてくれた親父は、
そのへんまで含んだ入学祝いのつもりだったのでしょうか・・・
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