昨年の7月に、永井和子先生よりお借り受けした、『文藝文化』を
ようやく読み終えました。
このブログでもお伝えしましたが、
松尾聰先生の細かい推敲の跡をたどりながら、
『平安時代物語の研究』と向き合った半年間でした・・・
なかなかまとまった時間も取れず、随分時間がかかってしまいましたが・・・

ところで、この『文藝文化』第四巻第九號(昭和16年9月1日発行)には、
「花ざかりの森」という一篇が発表されていて、作者名には「三島由紀夫」とあります。
時に三島16歳の時の作品で、同作が『文藝文化』に持ち込まれたとき、
同人等は、「天才があらわれた」といって、掲載を即決したようです。

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『文藝文化』第四巻第九號(昭和16年9月1日発行)
表紙画は棟方志功の手になる

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松尾聰先生のお名前の左隣に「三島由紀夫」とある

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ご案内のとおり、三島の本名は平岡公威(ひらおかきみたけ)ですが、
父が公威の文学活動に反対していたなど、諸般の事情により、
修善寺の編集会議で、「花ざかりの森」は、
「今暫く平岡公威の実名を伏せて、その成長を静かに見守っていたい」
と、同人一致の意向により、ペンネーム「三島由紀夫」での発表を決めたそうです。

ちなみにペンネーム「三島」は、三島を見いだした同人の清水文雄が、
修善寺での一泊旅行の編集会議の際、「三島」を経由してきたことと、
富士山の雪を見ての連想から「ゆき」を想起した由です。

後記02
『文藝文化』第四巻第九號の「後記」

三島由紀夫は、学習院高等科時代の松尾聰先生の教え子でした。
『全釈源氏物語』(松尾聰著・1959年)の付録2に、
三島由紀夫「松尾先生のこと」があります。

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