2022-05-25 (水)
本年(2022年)、小社が「国語学」(現・「日本語の研究」)を昭和27(1952)年にお引き受けしてから70年目を迎えました。
一口に70年と言いますが、それなりの変遷がありました。
この機会にその一部を振り返ってみたいと思います。
「国語学」が発刊される前、国語学会(現・日本語学会)では、昭和23(1948)年10月まで「国語学会会報」を発行していました。


その後、同じく昭和23(1948)年10月に大阪の秋田屋より「国語学」第一輯が刊行されます。はじめ、東京の数社の版元に刊行の交渉を続けていましたが、これが中々進展しないため大阪の秋田屋からの発刊となったわけですが、これが発刊後すぐに倒産してしまい、第二輯以降は奈良の養徳社から発行されることになりました。


ところが、この養徳社も第三輯まで発行したものの、第四輯からは東京の刀江書院に移ります。が、これまた第七輯をもって倒産してしまったのです。

そこで、昭和27(1952)年、第八輯より小社がお引き受けすることになり、現在まで70年の永きに亘り連綿と続いているわけです(『国語学の五十年』には第九輯から武蔵野書院発行とありますが、これは誤りです)。

第八輯の奥付にある金田一春彦先生の「編集後記」に、「新装の「国語学」第八輯をお届けいたします。」 とあるとおり、第八輯の表紙から、現在の日本語学会にも継承されているイメージカラーの「緑色」が使われ、表一(オモテ面)に内容目次を載せ、表四(ウラ面)に英文タイトルが配されるようになりました。多少の変更はあったものの、基本的にこのスタイルは現在の「日本語の研究」にも踏襲されています。

70年目を迎えるにあたり、今後も微力ながら、引き続き日本語学会の発展に貢献いたしたく思っておりますのでどうぞよろしくお願い申し上げます。また、皆々様のお引き立てをどうぞよろしくお願い申し上げます。
一口に70年と言いますが、それなりの変遷がありました。
この機会にその一部を振り返ってみたいと思います。
「国語学」が発刊される前、国語学会(現・日本語学会)では、昭和23(1948)年10月まで「国語学会会報」を発行していました。


その後、同じく昭和23(1948)年10月に大阪の秋田屋より「国語学」第一輯が刊行されます。はじめ、東京の数社の版元に刊行の交渉を続けていましたが、これが中々進展しないため大阪の秋田屋からの発刊となったわけですが、これが発刊後すぐに倒産してしまい、第二輯以降は奈良の養徳社から発行されることになりました。


ところが、この養徳社も第三輯まで発行したものの、第四輯からは東京の刀江書院に移ります。が、これまた第七輯をもって倒産してしまったのです。

そこで、昭和27(1952)年、第八輯より小社がお引き受けすることになり、現在まで70年の永きに亘り連綿と続いているわけです(『国語学の五十年』には第九輯から武蔵野書院発行とありますが、これは誤りです)。

第八輯の奥付にある金田一春彦先生の「編集後記」に、「新装の「国語学」第八輯をお届けいたします。」 とあるとおり、第八輯の表紙から、現在の日本語学会にも継承されているイメージカラーの「緑色」が使われ、表一(オモテ面)に内容目次を載せ、表四(ウラ面)に英文タイトルが配されるようになりました。多少の変更はあったものの、基本的にこのスタイルは現在の「日本語の研究」にも踏襲されています。

70年目を迎えるにあたり、今後も微力ながら、引き続き日本語学会の発展に貢献いたしたく思っておりますのでどうぞよろしくお願い申し上げます。また、皆々様のお引き立てをどうぞよろしくお願い申し上げます。
| ホーム |
2022年度中古文学会春季大会 開催>>
この記事へのトラックバック:
| ホーム |